筋肉矯正を始めたきっかけ
■全身不随になったことが私の人生を変えた!!
私が大学1年になったばかりの頃のことです。
モダンダンス部に入部し、体育館で準備運動の一部であるマット運動の練習をしていました。
マット運動で、飛び込み前転を練習して、出来るようになったので、意気揚々と次はマットを二重に巻いてやろう・・・ということになりました。
高さが倍ぐらいになったにもかかわらず、出来ると思って補助もつけずにそのマットを飛び越えようとしました。
マットを飛び越えて、手をついて頭をつけて前転するのですが、勢いに負けて手がグニャッとなってしまい、頭からドンと落ちてしまいました。
意識を失った私を先輩達があわてて病院へ運んでくれました。気がついた時には、病院の先生が、私の目にライトをあてて瞳孔確認をしているところでした。
年齢も名前も覚えていて、先生の質問に答えることはできました。
でも、その時すでに全身不随になっていたのです。
首は短くなり腫れあがり、意識ははっきりしていましたが、動くのは、目と口だけでした。
電気を通してもけん反射が起きず、手も足もピクリともしませんでした。
母が足をさすっていてくれるのが見えて、「ありがとう」と言うことはできましたが、足は何も感じなかったのです。
『これで私の一生は終わりだ・・・』と思って、一晩中涙が止まらなかったのを覚えています。
次の日、院長回診が終わった夕方の4時頃、ひょっこり父がやってきました。
個室のカーテンを閉め、「今から、矯正をするから・・・」と父が言いました。
父は筋肉矯正をしていたのですが、父のところへ来る人は、肩こりとか腰痛とか、自分で歩いてくることができる人ばかりだったので、まさか全身不随になった私を矯正できるなんて思ってもいませんでした。
『えっ、何をするの?』・・・って感じでした。
座ることのできない私を父は自分の足で支えて、ベッドの上に座らせ、40分ほど首、肩、腕、背中と順番に筋肉矯正をしていきました。
筋肉をやわらかくしてから「今から首を抜くから…」と父が言いました。胴体に突っ込んでいる首を抜く矯正をしました。
首を抜くときには今までに経験したことがないほど痛くて、涙は出るは、ハナは出るはで、顔がグチュグチュになりました。
首を胴体から引き抜いてくれるとうそのようにすぐに首も手足も動き、「もう、動けるからトイレに行ってみておいで」と父が言いました。本当にベッドから降りて一人でトイレに行けたのです。
改めて、父の技はすごいと感じました。
この技は、絶対修得しておくと役に立つ!
自分の家族や親戚や友達を助けてあげられる!!
そう思いました。
退院した後、大学に通いながら、4年間、就職してからも1年間、父について矯正の勉強をしました。
そして、一度悪くした筋肉は、ほっておくと歳をとれば必ず悪くなると確信していたので、自分の健康のために、なるべく体操とストレッチを続けていこうと思っていました。
就職先には、福利厚生で体操をしましょうと提案し、体操クラブをやりました。結婚してからは、ダンス教室を開き、子供ができると幼稚園や小学校のPTAに呼びかけて体操をしました。
それに、わたしが、大学で学んだ保健体育の知識やからだの知識、28年間の体操教室での実践、20年間の筋肉矯正での実践に基づいてて確立したのが、現在、私がやっている筋肉矯正健康法です。
全身不随の私を父が助けてくれたのですから、私も身体のことで悩んでいるたくさんの人の手助けが少しでもできたら幸せだと思っています。